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2010/09/23

iPS細胞が生む葛藤

先日NHKで「iPS細胞革命」と題したNHKスペシャルが放送されました。
遺伝子関連のテレビ番組は欠かさず録画してるaslanです。




私はNHKが放送する遺伝子、脳に関する番組があれば好んで見ます。
しかし、番組中のナレーションには疑問を持っています。

NHKは「生命」を語るときに、科学番組なのに何か生命が神秘的であるように語ります。
(民放の遺伝子関連番組はお涙頂戴ですが。。。スポンサーの違いでしょうか?)
「iPS細胞革命」では、その半分が「生命の尊厳って?」など、倫理課題の提示というか、
哲学的警鐘だったように感じました。

倫理問題も忘れてはならないと釘を刺す程度なら良いのですが、倫理という枠を
超えたコメントが多かったように思います。

私の母親もこの番組を見ていたようで、
「なんだかiPS細胞って危険らしいじゃない?すごい悪用もできるのね。」
と感想を漏らしていました。これはあの番組を見ている人のごく自然な感想だと思いました。





私が遺伝子に興味を持ち始めたのは今から15年ほど前、高校生か大学生の頃です。
何かのテレビ番組で、試験管の中で脈打つイモリだかの心臓を見てからです。
イモリの受精卵の一部を切り出し、特定の環境下で培養すると心臓に育つという
ようなことだったと思います。

あの頃はまだ幹細胞、万能細胞という概念はなかったように思います。

その後ES細胞という名前が話題になります。
ただ、幹細胞、万能細胞は、分化前の受精卵からしか採取することができないという
倫理的問題を抱えていました。

しかしiPS細胞は髪の毛だろうが、皮膚だろうが、分化済みのどの細胞からでも
万能細胞を作り出すことを可能にしました。
これにより拒絶反応という課題において大きく前進するとともに、受精卵からしか
得られないという倫理的課題をクリアし、研究の敷居を下げたと思います。




「受精卵から万能細胞が採取できる」

これはすごく納得がいくといいますか、私達の既成概念にマッチしていることだと
思うんです。誤解を招く恐れがありますが分かりやすく例えると、

「子供には果てしない可能性があり、様々な未来が待っている。」
ということに近い感じです。

逆に言えば、
「年を取ると可能性が狭まり、未来というよりは死に近づいていく。」
ということです。
立花隆は「タイムマシーンの発見だ」と言いました。とてもテレビ的な例えです。。。

ところが、山中教授はこの当たり前の概念を覆しました。
分化済みの細胞を未分化状態の万能細胞にリセットできるという概念を示しました。




なぜNHKは「危険なものらしいじゃない?」と視聴者が思うほどに警鐘を鳴らすのでしょうか?
かの有名な名言、「2番じゃダメなんですか?」同様、「危険なものらしいじゃない?」とか
言ってる間に全部特許を海外に持って行かれるであろうことは容易に想像できます。

世界で唯一の被爆国である日本が、新技術の倫理的問題に目が向くことは理解できます。

NHKは例えとして、ゲイの方々が同性同士であっても皮膚細胞から卵子、精子を
作ることができるという例を挙げました。
また立花隆は別れた彼女の髪の毛から卵子を作り、子供が作れると言いました。

これくらい表向きにはいかようにも規制したければ規制できるでしょう。
またこれらのことはiPS細胞でなくても、いずれES細胞+患者遺伝子で実現できたしょう。




「受精卵から万能細胞が採取できる」までは、まだ理解の範疇だったんだと思うんです。
「神の御意志」、もしくは「生命としての宿命」の範疇と言ったほうがいいかもしれません。

iPS細胞の最大の功績はキメラを作れるようにしたことでも、元彼女の髪の毛から
卵子が作れるようにしたことでもなく、細胞をリセットできるという概念の発見だと思うんです。

この概念は「生命としての宿命」を覆すものだと私は感じます。
これまで生命が懸命に、もしくはやむなく受け入れようとしてきた「生命としての宿命」、
これを覆される不安と期待。
自分が生きてるうちにどうにかなる技術なのか、それともまだまだ理論上の話なのか。
そして最大の不安は「期待することは許されるのか」だと思います。
生命がこれまで遭遇したことのない葛藤だと思うんです。

NHKは
「期待することは生命の尊厳に反する。これまで通りの生命として生きましょう。」
と言って私の母親を葛藤から救っているように感じました。




山中教授にはノーベル賞を取っていただき、是非世界をリードしていって欲しいなと
思っております。

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